鳥海山の会主催の「第2回講演会と会員の講話」を11月15日(土)に由利本荘市西目公民館シーガルで行いました。
 初めに、鳥海山岳会副会長三浦俊雄氏が「鳥海マタギ」という演題で会員講話を行いました。続いて、会員でもあり日本植物
分類学会会員でもある堀井雄治郎氏による「鳥海山の植物」について講演がありました。
 三浦氏は狩猟歴50年という様々な体験とこれまでのマタギについての研究をわかりやすく説明してくださいました。会場には
三浦氏自身が撃ち取った熊の毛皮も展示され、臨場感あふれる講話となりました。
 堀井氏の講演は、最初にチョウカイフスマについての自らの分類学の論文についての解説を中心に話をされました。次に鳥
海山の特徴的な花をスライドで紹介し、鳥海山を北限とする暖地性植物も多く、「鳥海山は花の種類も多く、宝の山である」とい
う言葉が印象的でした。

会員講話 「鳥海マタギ」

 小学校の時からマタギであった父と山を歩くようになった。それ以来狩猟歴は50年になる。
 秋田県のマタギの本家は森吉さんを主に狩り場とする阿仁マタギである。マタギの語源は山また山を歩くから、アイヌ語(冬猟をする人)、サンスクリット語、木の皮を意味する語など7説ある。マタギの首領はシカリといって、マタギは師匠につかなければ認められない。
 鳥海マタギは鳥海山をフィールドとし百宅部落(797年柴笹村として開村)に861年岩手の狩猟の名人が伝えた。3組のマタギが存在した。丁岳山系には橇ヅラマタギ、野宅マタギ、皿川マタギ、甑マタギがいた。
 マタギは独特のマタギ言葉を話し、山の神を崇拝していた。狩猟の仕方にも流派があり、鳥海マタギは日光派に属している。
 マタギの猟では、大正年間には米一俵5円の時代にバンドリ(ムササビの皮)が15円、テンの皮で家が建ったそうである。しかしマタギの猟はこのような獲物は山の神のおかげであると、山の神に感謝の呪文をとなえるのが常である。感謝の心がないと猟はうまくいかないものである。
 実際の猟の模様を話すと、熊(イタズ)は12月に入らなければ冬眠しない。熊はだいたい80K、160cmで成獣となるが熊の一撃は牛馬を打ち砕くとも言われる。熊狩りの適期は4月〜5月の残雪期に雪わたりをしながら行われた。猟のすべては、シカリがすべて指示する。アゲマキ、サゲマキといわれるやり方で熊を追いつめていく。マタギは鉄砲(シロビレ)を構える地点でメッテ(木化け)となり10間に近づいてもびくともしない。マタギは体力勝負である。マタギはカンジキをはいて訓練をし猟の行われる春に照準を合わせるのである。
講演「鳥海山の植物」

チョウカイフスマは1887年矢田部良吉が鳥海山で採取しメアカンフスマの別種チョウカイフスマと命名した。
 その後多くの学者がメアカンフスマと同種と見なしていたが、1966年奥山春季が母種メアカンフスマの変種とした。
 
 1995年の発表論文で鳥海フスマには両性花と雌性花があることを発表した。それまではチョウカイフスマ、メアカンフスマとも両生花のみであると思われていた。雌性花の方が種子生産が多く蜜も多い。両性花は自家受粉が多いため種子生産が少ないのではないか。
両性花と雌性花の割合は、康新道で8:2、頂上付近で6:4となっている。
 
両生花はいずれ花粉を生産する雄性花に進化するのではないかと思っている。花に集まる昆虫が重要である。
 
 2001年の発表論文でチョウカイフスマとメアカンフスマの形態の違いを発表した。
 チョウカイフスマとメアカンフスマの分類の違いは、萼と花弁の長さで判断できる。メアカンフスマは萼が長い、チョウカイフスマは萼が花弁より短い。
鳥海山は花の量が多い。
ヒオウギアヤメは山形県側には無い。ホソバノシバナは国の絶滅危惧種となっており、百宅口の湿原に見られる。ニッコウキスゲの花弁の細いものが見られる。ヒメクワガタは秋田県では鳥海山のみで見られる。アラシグサも鳥海山で特徴的な植物である。ヒメウメバチソウ、アズミイノデ、カラクサイノデ、オクヤマワラビ、タテヤマスゲは秋田県では鳥海山と朝日岳に見られる。ヒゲノガリヤスも鳥海山らしい植物である。
鳥海山は大事な山である。山麓には鳥海山を北限とする暖地性植物が多い。タブ、ヤブツバキ、ヤブツバキとブナの接点が鳥海山麓にある。またシダ植物が多いのも特徴的である。関東にないものがある。秋田県を北限とするシダが多い。対馬暖流の影響があると思われる。そういう意味で鳥海山麓は貴重である
鳥海山は、登山コースによって植物が違うという特徴を持っている。鳥海山はそういう意味で植物の植生のスケールが大きくボリューム感がある。
国の宝といっていい山である。